2011年3月31日木曜日

計画

 今、関わっている仕事が一段落したらまた海外に出たいなと考えている。考えてみると最後に飛行機に乗ってから既に一年、いい加減、日本の外の空氣が吸いたい今日この頃。そんな話を同僚にしたら、もう帰って来ないつもりですかみたいな誤解を受けたが、旅行である。震災以来、嫁さんと私の知り合いの範疇ではNY、マイアミ、フランス、ドイツ、台湾から家族で避難しておいでとのオファーを受けているが当面はまだエクソダスは考えていない。とは言え、子供のパスポートは取らないといけないので、その手続きは進めなくてはいけない。

考えている行き先はNY。昨年、子供が生まれた時に合氣道の師を始め、先輩や稽古仲間から様々なお祝いを頂いているので、皆に挨拶が出来たらと考えている。季節的に他流儀の師のセミナーと重なりそうなのだが、今回は家族旅行なので時期もずらしてセミナーは欠席。NYは嫁さんも住んでいた街だから特に困らないだろうが、家族旅行の途中で私が武道セミナー通訳として出かけて丸2日間留守にしたら、私自身が帰る場所を無くしてしまうのは火を見るより明らかである。

難点は休暇か。直属の上司には既に話を通し済みだが、問題が一つ。私が昨年の秋から関わっている社内の新規プロジェクトがあるのだが、それの開始が遅れに遅れ、今度こそはと思っては肩透かしを喰らうような状態が続いている事。責任者は昨年、共に出張に行ったスーパー理詰めのおエライさん。何度目の正直か、今度の予定は堅そうだが、実際はその瞬間まで分らない。とは言え、様子を見ていたらいつになるのか分らないので旅行は決行するつもり。一応、既に上司には話を通してある旨、述べておエライさんにも休暇予定を一報した。回答は「状況が流動的だが、上司が良いと言うなら考えがあるのだろう」と言うもの。


突き放されたか


空氣を読んでばかりいるのは柄じゃないので計画を進める予定

 (このご時世、流動的なのは仕事の状況だけではないですから)

2011年3月28日月曜日

飲み

 NY時代の上司が出張で日本を訪れると言う事で2009年に帰任した他部署の同僚に仕切ってもらう形で飲みに行った。香港と東京が出張先、本社での打ち合わせは今日と明日の二日間である。当初の予定では出張で立ち寄るので歓迎会の類は固辞、だから時間も作れるはずとの話だったが、氣が付けばおエライさん達に拉致される事になってしまい、それならばと日曜の夜に集う事にした。

上司と最後に会ったのは昨年3月に私がアメリカに出張した時以来か。10年間、共に働いた仲、上司の滞米期間は既に15年になっている。他部署の同僚の滞米期間は2~3年か。彼が赴任して来た頃の事は昔サイトでネタにしたのではないかと思う。どんな事を書いたのかは記憶が曖昧だけど。

他にもNY組には声をかけていたのだが揃ったのはこの3人。コテコテの居酒屋が良いと言う上司の希望でその辺りの店に。集まった時間が早かったせいか一次会が終わって9時前。ならばと二次会まで行き、氣が付けば11時をまわってから駅に向かって3人で歩いていた。新宿駅の改札で切符を買いに行く上司の姿を待ちながら同僚と雑談していると上司の姿が消えていた。10メートルも離れていない距離にいたのにどこへ行ったのか。同僚が上司の携帯にかけるものの繋がらない。ほんの一瞬、目を離した隙に元上司の姿はいなくなっていた。しばし同僚とどうしたものかと目を合せ、肩をすくめる。


まあ、いいか


大人だしホテルまで勝手に帰れるだろうと言う事で同僚とも解散

(そんな上司とは自分の電車乗り場へと歩いている最中に再会しました、何たる偶然)

2011年3月25日金曜日

情報リテラシー

(4/6:リンクを一つ追加しました)

今回の震災に関して言うと私の主な情報源はNHK、BBC、NYタイムズ、ネット上の新聞記事、そしてTwitterだ(順不同)。情報は玉石混淆で日々、どの情報を信頼してどう判断するか試されている感が無くもない。

デマや一定の情報を元に注意を促すような(正確には不安を煽るような)メールも届く。基本的に私は拡散しない派なので前者なら指摘するし、後者なら適当に流すのだが、昨夜、ヨウ素のメールがメーリングリストで届いた時は固まった。内容は厚生労働省が3月17日に飲料水の放射線摂取制限を緩和した、緩和された基準値は世界のそれと比べると酷い、メディアはこの事を報じていない、緩和された直後からヨウ素のニュースが各地の浄水場から届くのはタイミングが良過ぎないか、と言ったもの。こんな情報も合わせて載っていた。

世界の水道水放射線基準値 

●世界の基準値 
WHO基準      1ベクレル(Bq/L) 
ドイツガス水道協会 0.5ベクレル(Bq/L) 
アメリカの法令基準 0.111ベクレル(Bq/L) 

●3/17までの日本の基準値 
ヨウ素 I-131 10ベクレル(Bq/L)  
セシウムCs-137 10ベクレル(Bq/L ) 
出典は下記です。203-204ページ、表9-3参照 
http://whqlibdoc.who.int/publications/2004/9241546387_jpn.pdf 

●3/17以降・現在の日本の暫定基準値 
・ヨウ素(I-131)131  300ベクレル(Bq/L) 
飲料水 300 Bq/kg 

(実際のメールには他にも情報が掲載されているのだが、ここでは割愛)

子供は10ヵ月、ヨウ素の話は神経質にならざるを得ないニュースだ。幸い我が家はヨウ素が発見された地域には該当せず(3月25日の段階では)、我が家に届く水の浄水場の数値も普通と嫁さんが調査済みだったが、こんなメールが届けば心中穏やかではいられない。この話が本当なら日本のメディアが報じないと言うのは100歩譲るとして欧米のメディアは自国民を守らなくてはいけないから絶対に騒ぐだろう。ソースは何だろうかと調べてみた。

このサイトの指示に従い、「水道水放射線基準値」、をGoogleで検索。リアルタイムで発生時期を調べると23日を境に急激に話題になっていた。更に探って行くとここが発生源では無いだろうかと言う事が分かった。

次にWHOである。サイトをチェックすると24日に更新された日本での水の状況についてがあった。英語の内容だが、簡単に言えばヨウ素131の基準(大人300ベクレル、乳児100ベクレル)は緊急時用として設定されている数値であるが、胸部レントゲン写真一回分の放射線量に該当。通常時の基準値である10ベクレルはNY-ロンドン間のフライトでさらされる放射能の量に匹敵するが、これは緊急時に参考データとするべきでは無い。IAEAが介入するレベルは3000ベクレル。
(→4/6追加WHOの発表の正式な日本語訳はこちら


なるほど。


見るとメールに添付されていた出典のページは間違っていたし(203-204ページに該当データが載っていたのは和訳版では無く英語のオリジナル、和訳は230-231ページだった)、色々とツッコミ所のある内容だった。そんな経緯もあり、朝からいつもなら読むだけのメーリングリストに柄にも無くレスを書いた。

それだけの話だが、一つ自分の中で発見だったのは何故この話題に激しく反応したのかと言う事。やはり対象が自分の子供だったからだろう。自分一人の話だったら大して氣にもしない事が妻子が関わって来るとまるで違うのだなと言うのは発見だった。これからも情報は極力ソースを確認して当たっていく事にしよう。


ちなみにWHOのソースを調べたのは全て嫁さんです


朝、出かけにメールの内容を渡したら会社に到着するまでにソースサイトを一通りチェック、感謝です


(とは言え、子供のパスポートも申請するかと考えている今日この頃)

2011年3月23日水曜日

問い合わせ

 Twitterでも軽く呟いたが週末にFacebookを通して私の古巣であるNYの道場について質問が来た。趣旨は合氣道を始めようと思っているが、他の流派と何が違うのかと言うもの。見ると共通の知り合いに道場の稽古仲間が1名。何故、既に帰国してFacebook上の道場ページでも責任者として記載されていない私に質問が来るのだろうと思いつつ、簡単に回答した。

そして今日、先方から回答と共に別な質問があった。これから大学なのだが合氣道を学ぶ事でより良い学生になったかと質問だった。私がプロフィール上に大学のOB稽古の写真を載せていたのを見たのかもしれない。勉学か、これは難しい。私が学生の本分が勉強である事を実感したのは大学生になってからだが、それと合氣道は直接関係は無い。ただし合氣道を学ぶ事でよりまともな人間になったのは間違い無い。先輩、同学年の仲間、後輩、様々な人々との出会いが私に影響を及ぼしたし、何よりも合氣道の「争わざるの理」の考え方は社会に出て、渡米してからも大いに役立った。

もちろんその範疇に収まりきらないものが私の中にあるからこそ、昔も今も他の武芸に関わっていると言う事実はあるものの、合氣道を稽古する際に感じる楽しさに偽りは無い。心身の操作と術を磨くと言う意味でも合氣道は進めば進む程、面白い。問合せに対してはこんな後半の事は書かず、単純に自分にとってポジティブな影響があった事、社会に出てから仕事などの実践の場で役に立った事を答えた。ここから先は追加で質問が来ない限り、彼次第だろう。後で道場の幹部にでも近く体験参加があるかもしれない旨、連絡しておこう。最後にNYの道場を訪れたのはちょうど一年前の出張の時。こんな形でまた関わるとは意外である。


まぁ道場サイトのトップで投げられているのはまだ私ですが


プロのカメラマンの友人がサイト用に撮影をしたのですが、あれは何年前の事か・・・

2011年3月22日火曜日

近所付き合い

 震災から一週間半、海外の友人達の心配メールもそろそろ一段落と言う所だ。嫁さんの所には台湾とアメリカのマイアミからはそれぞれ「家族3人なら普通に過ごせるからいつでも来なさい」とオファーもあったらしい。東京は大きな被害にあってはいないと言う事を何度英語で書いた事か。色々と予断の許さない状況ではあるが、私の住むエリアと通勤圏内では計画停電とそれにまつわる電車の本数制限や、スーパーの空の棚がむしろ面倒と言うぐらい。

場所によって状況は異なるようだが、我が家の近くで言うと近所のスーパーやコンビニで全滅しているのはミルク、トイレットペーパー、ティッシュ、ラーメン・焼きそばの類、オシメその他と言った所だろうか。供給が追い付いていないのか、何なのか。他の物は普通にあるのに、そのコーナーだけ空となっているのは妙な感じである。震災直後の週末、駅前を始め近所のスーパーを4店まわって、子供用のオシメが見つからなかった時は本当に驚いた。その後、平日の仕事帰りに偶然買う事が出来て本当に感謝である。

しばらくすれば供給が始まるだろうと思いながら日々を過ごしていたのが牛乳。帰りにスーパーを覗いても棚は空っぽのままだ。無くなっても不便なだけで、生活の根幹が揺るがされると言う訳では無いが、ちょっと困っていた。そんな週末、家の近くのパン屋にブランチ用のパンを買いに行った。ジュースは売っているが牛乳は無い。店長と挨拶して、雑談する過程で、「ここも牛乳は無いのですね」、と言った所、「実はね」、との答え。店頭に出さずに知り合いに用に取っておいたと言う牛乳を一本分けてもらった。


近所付き合いって大切ですね


これで取り敢えず一週間強は何とかなる見込み

2011年3月18日金曜日

買い占めするならカネ送れ

追記:コメント欄で情報を頂きましたが、YouTubeの動画は既に削除されてしまったようなので、ニコニコ動画へのリンクが載っているこちらをご紹介します


Twitterでも呟いたが、こんな動画を見つけた。元はこちららしい。








噴いた

ドイツ語が実際に何を言っているかはともかく、この字幕とメッセージは実に素晴らしい出来です

 (色々と更新するタイミングを逸していたのですが、まずはこの辺りから)

2011年3月9日水曜日

家族の形

 昨日、Twitterでも少し呟いたのだが、この「イクメン」どころの騒ぎじゃない時代が来ますの日記が私個人としては色々とツボだった。内容は日本国内の消費市場が縮小するにつれ、今後、企業はより海外に出て行くだろうし、それに伴い海外赴任のスタイルも変わっていくのではないかと言うもの。数年程度の特別待遇的な駐在からもっと海外で腰を落ち着けた長期滞在型に変わり、それに伴い、結婚生活や子育てのスタイルも変わっていくのではとの内容である。

日記では10年後と言う話だったが、これは我が家に結構当てはまる。私は3、4年と言う話でNY赴任が決まり、結果的に10年過ごす事になった。これは私が帰国を望まなかったからで、強制的に帰任命令が出なかったら今も向こうで稽古三昧にマイペースに暮らしている可能性は高い。嫁さんとはNYで出会ったが、付き会っている間も結婚後も主に日本-アメリカ間の遠距離だった。嫁さんの仕事は海外営業だったのと、彼女の上司が理解のある人でヨーロッパに出張後、NYに立ち寄らせてくれたりと色々とウルトラCな便宜を図ってくれたので年に数回会いながら、過ごしていた次第。とは言え、いずれは子供も欲しい、結婚してから一緒に暮らす手段は無いものかと模索していたら私が帰国する破目になり丸く納まった。

ただNY時代に思いを馳せると1年弱の短期とは言え、大学の合氣道の仲間と後輩の女性がそれぞれ赴任していた事はあったし、他の友人でも奥さんの仕事との関係でアメリカ国内で別居婚や、時には片方が海外赴任と言うケースも見て来た。NYで初めて出会った嫁さんの友人夫婦は現在、香港で生活していたりする。

結局の所、それぞれの育ちや暮らしの中で自分が置かれている状況を基準として物を見るので、私からすればリンク先の日記の内容は10年後の世界では無く、むしろ今、この瞬間の話に感じる。でもTwitterで人々の感想を追うと、「考えられない」、と言うコメントもありなかなか興味深い。日記はイクメンのあり方にも言及されているが、夫婦共働きだったら嫁さんが海外赴任、旦那と子供がそれにどう対応するかと言う事も充分にあり得る。我が家に置き換えて考えるとシンプル。


嫁さんへのオファーが良ければあまり迷わず付いて行くかと


行き先にもよりますが、面白そうだし、子供も世界を肌で実感した方がずっと良いはず

(そんな私もまた機会があれば海外に出て行きたいところです)

2011年3月7日月曜日

出会いと稽古

 私がインターネットで自ら情報発信をするようになったのは武道への思いを誰かと共有したいと言う氣持ちがあったからだが、そのお陰で今でも多数の方々と流儀に関係無く親しくさせて頂いている。こちらの方はその中でも最も古い付き合いだと言っても良い。初期の頃は武道系のサイトに投稿し、その後、自分でサイトを持ち、依然として続けているのだから我ながら懲りないものである。最近だと初めてお会いしたのはこちらの方か。縁とは面白いものである。

その後、ネット環境も変化しMixiやTwitter、そしてFacebookと色々と広がっているが、そんな中でも一人、機会があればずっとお会いしたいと思っていた方がいた。文章に触れたのはNY時代、Mixiで。日記を読んですぐに、あまりメインストリームに出て来ない本物の伝承者の人だろうと氣が付いた。言葉の節々にそのような人特有の空氣を感じたと言えば良いのだろうか。そんな方が東京に出て来て講習会をすると聞いたら予定を調整して参加するのも当然だ。流儀は私が学んでいるものと関係が無いのはご愛敬。

稽古は3時間。間合を主題に立ち方から始り、押し合い、投げ、そして型にその応用と体験出来るよう幅広いメニューだった。どの技でも先生が直に技をかけてくれた他、休憩時間にも更に体感させてもらえたのは非常な刺激となった。ケガをしないよう優しくゆっくりと技をかけてもらったが、身体が技をかけられている事に氣が付かない技法と言うのは非常に危ない。やられているのだが、いつやられているのか身体の反応が追い付かないのである。だから相手がその氣でやれば受身も取れない。普通の速度でかけられたら結構大変な事になるだろう。これだけ古いものが、稽古法と共に今の時代でも残っているのはちょっと感動である。様々な生徒の方々と組んで稽古をさせてもらった。これは面白い。家の事情があって懇親会には出ずに帰宅したのだが、技の一つ一つにワクワク感のある稽古会だった。





本日、筋肉痛なのはお約束


まぁ背中だけなんですが、右手は痣になっているし・・・いつついたのだろう

(手の痣がスーツのシャツ越に見えるのがチャームポイントです)

2011年3月3日木曜日

本棚

 少し前に電子書籍の話をした所、こちらの方が取り上げてくれてスマートフォンから本棚の話になった。確かに内田樹の「街場のメディア論」でも電子書籍の事について言及されており、同じように、電子書籍は本の持つ公的な一面、すなわち本棚としての一面が生かされないのではと書かれていた事を思い出した。

確かに考えてみれば本棚と言うのはその持ち主の個性が色濃く反映される場所である。大学教授の研究室はその典型的な例だろう。誰かの家に遊びに行った時、そこに書棚があればどんな本が並んでいるのか好奇心が刺激されると言うものだ。

そんな私のNY時代の本棚は居間と寝室にそれぞれあった。人が遊びに来た時に目にする居間の本棚には哲学書やビジネス書が日本語、英語とそれぞれ並び、寝室の本棚にはマンガや武道書、そしてスターウォーズの小説がぎっしりと詰まっていたものだ。両方の本棚の存在を知る親しい友人に、「建前と本音が分かり易いよ」、と言われたものである。それも今となっては昔の事、帰国するに当たり、ずいぶんと古本屋に持って行ったり、友人にあげたりした。


今の本棚はアイデンティティ不明です


嫁さんの本と私の本が所狭しと並んでいて何が何だか、あまり本を増やさないようにしているのですけど

(マニアックな武術書は棚の中で我ながら存在を忘れてしまいそうです)