2011年4月27日水曜日

 誰にも邪魔される事無く、好きなだけ寝る。最後にこんな事があったのはいつだったろうか。NYにいた頃は週末、起きたら午後だったなんて事は珍しくなかったが、今となっては遠い昔の事だ。平日は目覚ましが、週末は子供が私を起こす。子供が比較的遅い時間まで寝ている事を幸運と思うべきかもしれない。

日曜日は沖縄古流の他流儀の稽古だった。先生とはミクシィで既に長い付き合い。先月、一般公開セミナーがあり参加して初めて挨拶をして稽古する事が出来た。その数日後に震災が起きたので既にあれも遠い昔の事に感じられる。

その先生がまた東京に寄ると言う情報を入手、稽古会に参加させてもらえる事になった。一般公開のセミナーは万人向けに柔らかい系の技をやったが、今度のは普通の生徒向けとの事。午後に稽古で夜は懇親会との事で楽しみにしていた。で、直前になってフライトの関係で稽古が早朝に。

正確には9時からなので早朝では無いが、家からの距離を考えると平日の通勤時よりも早い電車に乗らなくてはならない。平日のようにまだ寝ている妻子を残して家を後にした。

稽古は2時間半程度だったろうか。非常に充実していた。立ち方から始り、押し合い、投げ合い、型に約束組手と盛りだくさんだった。少人数だった事もあってか先生に何度も技をかけてもらえる
幸運もあった。なるほど、この稽古法は古く、そして合理的だ。一人で練る稽古の他、対人稽古もきちんと積めばきっと立ち方や姿勢が変わり、色々な変化が生じるのは分かった。短い時間で消化するには多過ぎるぐらいのカリキュラム、汗を流しながら稽古をしているとあっと言う間に終了となった。

稽古後は近所の定食屋でランチ。感想を問われたので、とても合理的だと思う旨、伝えると驚かれた。これは今後も時間を作ってぜひ稽古をしたいもの。合氣道他、また色々と兼ね合いが悩む所だが、機会が目の前に訪れたら手にするしかない。色々と必要に応じて調整しよう。

そんな充実した時間の後は家族の元へ。朝が早かった代わりに家族と過ごす時間がきちんとあるのは嬉しい。充実した稽古に家族との時間、実に満ち足りた日曜日だった。


筋肉痛と疲労感がとんでもないですが


稽古の最中は平氣だったのですが、帰り道辺りから全身がうずきだし今に到ります。

(この感触も懐かしいのですが、まさかここまで身体がなまっているとは不覚です)

2011年4月19日火曜日

師匠

 久しぶりに合氣道関係の友人と飲む機会があり、色々と盛り上がったのだがその内の話題の一つが師匠だった。武道を志す者にとって師の存在は避けては通れないものだ。師を持たないで一定以上のレベルに達するのは至難の業だと言って良い。武道の場に限らず、ビジネスの場における上司、様々な状況におけるメンターなど、教え導いてくれる存在としての師と言うのが話題の一つだった。

これが最初から最後まで一人の師の下で一つの武芸を学んできたと言うのであれば話は単純だ。が、友人も私も合氣道に限っても複数の師に学んでいる。私の場合、合氣道の師匠と言えばニューヨークで10年間お世話になった方だが、学生時代に基盤を築いてくれた先生は他に2名いる。片や先生、片や師匠、この違いは何なのか。

私が思うに師匠と呼ぶのはその人の教えが自身のコアとなる価値観にまで影響を及ぼすような人の事だ。そこには必然的に畏敬の念が生ずる。以前にも話題にした事だが、私の場合、師と呼ぶ人は3名。大学時代に私の武芸に対する考え方を根底から覆した中国武術の師、NY時代の合氣道の師、そして帰国する前に不思議な形で縁の出来た他武芸の師だ。他にも高校時代に初めて道場の扉をくぐり、蟷螂拳を教えてくれた街道場の先生や、アメリカ時代の数年間学んでいたJKDの先生もいらっしゃる。これに様々なセミナーで教えて頂いた回数を足したら収拾がつかないだろう。

あるレベルから先について師を持つ事の重要性は自身の基軸となる技や哲学に関わって来るのかなとも思った。自分はどの武芸の門人なのかと言う自覚と言っても良い。これが無いと技や流儀のコレクションになってしまい、コレクションとしての価値はともかく技の深さを体得するのは難しい。残念ながらこのようなコレクターの人達にも数多く会ってきた。

難しいのは友人のケースにせよ私のケースにせよ、コアとなる武芸のレベルを上げる為に他の武芸を研究する事は多々あると言う事。それが推奨されている事かと言うとまた難しい所だが、少なくても一つの道場で一つの価値観で純粋培養されるよりは良いかなと個人的には考える。先生との縁、相性、自身の時間や能力など、武芸を学んで行く過程で様々な要素が影響してくるし、何と言っても世界は広い。価値観も当然多様である。

友人は自身の合氣道の位置付けで色々と考える所がある様子。他の流儀に接する機会がある中で師匠と言うキーワードが氣になっている様子だった。私は基本が雑食。そしてこの話題は、こうして素面になってから考えなおしても「これが正解」と言う答えは無い。強いて言えば、私の場合、「天命に沿って歩む者は必要な時に必要な師に出会う」、と言う言葉を信条としている事か。これまで歩んできた自身の人生を振り返ってそう思う。



出展はマンガですけど


私が高校生の頃に読んでいた「拳児」で台湾の蘇崑崙が主人公に言うセリフでした

(そう言えばNYで蘇崑崙のモデルとなった先生の道場に行って稽古した事があったなぁーとここまで来て思い出したり)




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2011年4月11日月曜日

もうすぐ一年

今朝方、子供を着替えさせながら、もしかして息子の方が父親よりも服が多いのではと言う事実に氣が付いてびっくり。嫁さんにその事を指摘すると、「だって彼は可愛いから色々といただいているじゃない」、とのコメント。うーん、私にはチャームが足りないと?

そんな彼は軽く風邪氣味で鼻水が出ている。これをティッシュで拭こうとすると泣くだけでなく、強硬な抵抗にあう。前回、風邪を引いていた時はもっと簡単に抑えて鼻を拭けたのだが、今は身体をよじる、人の手を掴んで払いのける、何でもありである。その代わり、親の服に顔をこすり付けて鼻を拭くのは好き。お陰で抱っこする度に服には子供の鼻水が。ただでさえ服が少ないのに。

子供が産まれたのは昨年の5月。もうすぐ一歳だと思うと信じられない思い。何だか色々な事があったような、無かったような。ここ数日、伝え歩きを横向きにするようになったので歩くのもそう遠く無いかもしれない。彼のマイブームの一つは本。本棚の本を片っ端から取り出して、ブックカバーや表紙を外して散乱させる事だ。片付けると嬉しそうにやって来てまた散らかす。我が家のシヴァ神である。ただ週末、観察していたら本の中身をめくっている様子。定期的にめくる本を決まっており、一つはビジネス書、もう一つは「働きマン」シリーズ。両方共、嫁さんの持ち物だ。


お前には少し早いのではないかい?


何が面白いのだろうと思いつつ、絵本の読み聞かせも楽しんでいるようです


(ちなみに彼が触れた大人の本は漏れなく、古本屋にも持っていけない状態になる運命に)

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2011年4月7日木曜日

続 情報リテラシー

 少し前に水とヨウ素について言及した投稿は意外とヒットがあり、時事ネタだった事もあってかこのブログの規模にしては検索して辿り着いた人も多かったようである。原発と放射能に関しては色々な人々が色々な事を言うのでなかなか複雑だが、私自身としては極力複数のソースに当たりながら、自分で判断するしか無いと考えている。日本のどこに住んでいるのか、子供がいるのか否か、様々な条件によって判断は異なるだろう。安全なのか、安全でないのか、日本政府や東電の発表はお世辞にも分り易いとは言い難い。

震災直後と比べると手元に届く混乱ネタもずいぶんと減った感があるが、数日前に知り合い経由で低線量率放射線療法の権威が発表する衝撃の事実がまわってきた時は本氣なのか笑いが取りたかったのか判断に苦しんだ。後者だと思いたい。

これは極端な例だとしても2日前には放射性物質の拡散についてMLがまわって来たし、色々と皆さん思う所があるのだろう。風向きによっては用の無い人は外出を控えるようにとアドバイスがあった。MLで転送を禁じて情報の是非については各自の判断に任せると書かれていたのは前回、ヨウ素の話が来た時に私が噛みついたからかと思わなくもない。

この話も既に収束に向かいつつあるかと思うが、事の出だしは4月2日の朝日の放射性物質予測、公表自粛を 気象学会要請に戸惑う会員の記事では無いかと思う。4日になって読売の日本で公表されない気象庁の放射性物質拡散予測が掲載され、そこで「ドイツやノルウェーなど欧州の一部の国の気象機関は日本の気象庁などの観測データに基づいて独自に予測し、放射性物質が拡散する様子を連日、天気予報サイトで公開している」と書かれた事が一氣に読み手の不安を煽ったのでは無いだろうか。文脈的に日本政府や東電が何かを隠しているのではと推測したくなるのも無理は無い。

で、ネットの一部で政府の陰謀論が声高に叫ばれる中、6日には放射性物質拡散予測、またはシミュレーションの解釈を間違えるとデマのもとのような投稿があり、ドイツ気象局 (DWD)による粒子分布シミュレーションの日本語訳、も出て来て、なるほどそう言う事かとソフトランディング。読売でも指示されて…気象庁、ようやく拡散予測を公開と記事が載っていた。例によって、それぞれが個人の責任で判断して行くしか無いのだろうなと改めて思った次第。


そんな訳でMLは無視


最近、解除したいなと思いつつ、人付き合いのしがらみもあって行動に移せないのが悩み所です

関連情報として面白かった記事には発生から2日後に発覚したチェルノブイリ原発事故なんてものがありました。

2011年4月4日月曜日

アート

 オリジナルがどこだったか記憶が曖昧なのだが、2001年の同時多発テロの後、アメコミのヒーロー達が現場に駆け付ける作品があった。以前、アメリカの書店で偶然見つけ、立ち読みをした程度なのでどんな話だったのか覚えていないのだが、崩壊したツインタワーを前に呆然自失するスパイダーマンの絵は印象に残っている。





そんな中、偶然、見付けた絵はこちら。元のリンクではこれが絵葉書でその売上が義援金になっているとの事だったが何故かアクセスが上手く行かなかった。でも氣持ちは伝わって来る。クライストチャーチの地震と日本の津波被害に対して支援を求める帝国軍、ストームトルーパー達のポスター。






頑張れ








ニュージランドのクライストチャーチでの地震が既に遠い昔の事のように感じられる事に驚きを禁じ得ません



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2011年4月1日金曜日

ライバル心

 先週、世間が東京都内の水道水のヨウ素で盛り上がった日に大学時代の他校の合氣道部の友人からメールがあった。内容は水の件、どうするのかと言うストレートなもの。自宅の水道水がどの浄水場から来ているのか確認してやっていくしかあるまいと応えた。そう言えば彼の所はヨウ素の数値が高いエリアだったかと思って尋ねるとそうではないとの答え。妻子は既に西に避難させているとの事だった。子供は私の所より3ヵ月ぐらい下だったと記憶している。

彼と私は共に同じ代で大学の合氣道部の主将を務めていた。合同稽古や出稽古で交流があった他に、かなり武芸に関して熱意があったと言う所でも共通項があった。何度か話題にしたような記憶もあるが、稽古と飲み会の後に、お互いの技の発見を試そうと言う事で小さな公園で組手を始め、そこで二人の時間を過ごしていたカップルを退散させてしまった過去や、私の渡米前の壮行会で他のメンバー共に盛り上がりチーマー狩に行きそうになった過去がある。

昨年、彼の所に子供が生まれてから会っていなかったので簡単な近況交換をしていると、まだ座り始めたばかりの息子とペットボトルを使ってチャンバラをしている写真が送られてきた。何と言う英才教育。さすが大きくなったら決闘させようと言ってくるだけある。私の所はどうなのかと問われて、鍛練法を公開する訳にはいかないと返した。そして昨夜、ツイッターでも呟いたように帰宅したら私のパンチミットと竹刀が部屋に転がっていた。嫁さんが子供と遊んでいたらしい。具体的に何をして遊んでいたのか分らないが、そんな事を一週間ぶりに友人宛てに連絡した。即レス。


 ((((;゜Д゜))))ガクガクブルブル


取り敢えず一勝か、情報戦から

(お陰様で子供は今日も元氣です)