2011年6月29日水曜日

フラッシュバック

 真夏日和の中、上司と二人、得意先を訪問すると現地担当の営業は以前、アメリカ西海岸で営業をしていた同僚だった。そう言えば帰任するらしいと言う噂は聞いていた。久しぶりですねと言う挨拶が自然と口から出る。どうやら帰国して約2週間、時差ボケが直る間も無く怒涛の引き継ぎの真っ只中との事だった。

訊くと丸5年のアメリカ滞在だったらしい。その同僚は西海岸をベースにアメリカ国内の得意先巡りや日本から訪れた得意先のアテンドをしていた。以前、彼がマンハッタンの得意先を訪問していた際、イベント用の素材を届ける必要があり、誰かが借りたミニバンのレンタカーを運転して素材を届けた記憶が何となくある。一年の3分の1が出張。さすがに疲れるようになり本人の希望で帰任したと聞いた。私のように本人の意思はおろか、直属の上司まで直前まで知らされなかった人事で帰任するのとは大きな違いだ。

しかし帰国して2週間だとまだ住む所が決まったか否かと言う辺りか。船便は言うに及ばず航空便の荷物だって届くか疑わしい状態だろう。ウィークリーマンションに住みながらようやく住む所を見付けたとのコメントに自分の3年前を思い出す。帰国した翌日に会社に顔を出し、週末は家電製品のチェックや不動産巡りをしたような氣がする。インターネットが開通するまで、帰宅後は携帯からメールをチェックするしか無く面倒だった事。そして何よりも会社名が同じだけで、帰国とは言え、まるで海外の地に転職したような氣分だった事を思い出した。


勝手にシンパシー


同僚は私より上のベテラン社員なので大きなお世話だとは思いますが

(同僚の後任は英語があまり出来ない状態で赴任したとか・・・大丈夫なのか?)

2011年6月28日火曜日

LinkedIn

 私にとってこれまでSNSと言えばMixi、Facebook、Twitterの3点だった。始めたのはMixiが最初、NY時代に友人の奥さんに誘われての事だった。FacebookはNY時代のタイ人の後輩に誘われて。Twitterは会社の同僚に誘われてだったと記憶している。アクセス頻度で言うとTwitter、Facebook、Mixiだろうか。Twitterは情報集め、Facebookは友人仲間の近況チェック、Mixiはたまに覗くと言う感じだ。

LinkedInについてはこれまでの誘いはあったのだが、特に用途らしい用途も無く放置してあった。だから今回、誘われて始めたのも氣まぐれと言えば氣まぐれだ。アメリカ時代の取引先などFacebookはやっていなくてもLinkedInをやっている人がいるのは以前から知っていた。Facebookは友人仲間がベースなのに対し、LinkedInはビジネスが中心か。個人の履歴書も掲載出来るようだが、まだ始めて数日。そこまではしていない。正確には使い勝手を把握していないと言う所だろうか。

驚いたのは会社の人間が結構いると言う事。NY時代のアメリカ人の同僚はもちろんの事、NY時代の上司までいた。最初に登録する段階でメーラーに含まれているアドレスから既存のLinkedInアカウントをチェック出来るのだが、そこに上司の名前を見た時は驚いた。取り敢えず上司ならお知らせメールが出ても良いかとチェックしたら数時間後には承認メールが。さすがの速さである。他にも転職サイトだろうと不評を買っていたと聞いていた本社のおエライさんの名前が表示されたりしたのだが、そこにメールが行ってしまうと色々と面倒臭そうなので、そっちのチェックは取り敢えず外しておいた。

SNSはネットワークが出来上がらないとあまり面白くは無い。すなわち最初の内は知り合いの数が増えず、広がらないのでアクセスしても刺激に欠ける。そう言う意味ではMixiもFacebookも始めた頃はかなり細々としていた事を思い出す。そしてLinkedIn。コンタクト先の検索結果を見たら意外とNYの合氣道仲間が多い。そこへも金曜日にお知らせメールを出した所、土曜の朝には多数の承認メールが届いた。それについての友人のコメント。


だってNYでの本業でしょ


あ、まあ、そうね

(取り敢えずネットワークの日本人比率はとっても低いです、しかしどう活用したものか)

2011年6月20日月曜日

歩く型

 子供が歩いたと嫁さんからメールで連絡があったのはちょうど一週間前、14日の事だった。この場合の歩くは自力で歩く事を指す。伝え歩きは結構やっていたし、NYへ向かう行きの飛行機の中では親の指を掴んで機内の通路を延々と歩いていた。あの行きのフライト、通路を何往復したかは記憶が曖昧である。

以前も書いたような氣がするのだが、子供の日々の進化を見るのは型稽古に通ずるものがある。毎日、毎日、何かを一生懸命に挑戦しつつ失敗する。ある日、何かをきっかけにそれが出来るようになる。最初の内はぎごちないその動きが徐々に洗練され、その内に、前から当たり前のように出来ていたかのように動きだす。物を掴む、ハイハイ、一つ一つが時間をかけて出来上がる。これは稽古で技を練るのと全く同じようなプロセスだなと思わなくもない。周りにその技が出来る人がいて、その姿を真似てコツを身に付けて行く過程で技が出来る。技が出来るようになれば、昔から出来ていたかのように見えるものである。兄弟のいる子供の方が早いのは身近に例がいるからだろう。

子供が初めて掴まり立ちをした時も、ハイハイをした時も、そして自分の足だけで立った時も幸いにその場に居合わせる事が出来た。「昨日まで出来なかったのに」、と思う間もなくその後は加速度的に上手くなっていく。実に面白い。

子供が歩く姿を目にする事無く、平日はあっという間に過ぎた。ヨチヨチ歩きをしているのなんて一瞬なんだからと言う親からのメールにちょっと焦燥感。そんな週末の日曜日は嫁さんが用事があり、私は久しぶりに子供と二人きりだった。母親が出かける姿を目にしていたせいか最初は散々泣かれ、そのパワーに一氣に憔悴するも、色々と氣を紛らわして場をもたす。

歩いた。

ほんの2、3歩だが確かに歩いた。感動。バランスを取りながら足を動かす。そんな当たり前の事が初めての時はとても難しいのだなと言う事が良く分かる。こっちが大喜びしているせいか、子供も嬉しそう。この小さな一歩がいずれは大きな一歩へとつながるのだろうと完全に親バカ全開。


仁王立ち姿でスティックも振るし


子供の近くで何となくカリスティックを振っていたらかなり刺激になってしまった様子

(取り敢えず棒系のものは何でも好きなようで、持った状態で転ばないで欲しいと思う親心、そう言えば子供が歩く姿を初めて見た日曜は父の日でした)

2011年6月16日木曜日

優しさ

 飲んでいて危ないもの、それはフローズン・マルガリータでは無いかと言う思いを今回のNY旅行で抱いた。メキシコ料理で出て来るパンチ力の強烈な飲み物である。口当たりが良いのでクイクイ飲むと椅子から立てなくなったり、記憶を失う事がある。

NY旅行の一週間の内、合氣道の稽古に行く機会は2回あった。2度目の時は挨拶も兼ねて嫁さんと子供も道場に。稽古仲間や師も喜んでくれて、同じく立ち寄った師の奥さんとも色々とお話をする事が出来た。

稽古後、嫁さんと子供の事があるので居候先に一緒に帰るかと思っていると先輩が、「お前の家族は俺が車で送ってやるからお前は仲間と一杯やって行け」、と声をかけてくれた。さすが先輩、言う事が違う。先輩からは子供の誕生日プレゼントをもらったり元々、頭が上がらないぐらいお世話になっているのだが、更に世話になる事になった。

残った私はまずは後輩達が買ってきたビールを道場で飲む。ビンビールが一通り空になった所で行きつけのメキシコ料理に。実はその日のランチをそこでしていたのだが、美味しいので氣にしない。数名でテーブルを囲み、料理を食べている過程で飲んでいたのがフローズン・マルガリータである。美味い。

暗転。

氣が付くと閉店で出る事になっていた。そう言えば自分の支払はどうしたのだっけと思いながらマンハッタンの夜道を仲間と散策。順次、仲間と別れつつ、幸い長い付き合いの二人が同じ地下鉄と方面で彼等に挟まれるように来た電車に座った。私が一番年下なのだが、一応先輩。雑談に華が咲く。

暗転。

氣が付くと日本人の後輩が下りる所。「日本に戻ってからなまってますよ」、と言う厳しい指摘を笑顔でかわしつつ、また次の機会を楽しみに別れる。次に氣が付くと降りる駅が迫っていた。数駅前に降りたはずの仲間はまだ一緒にいる。「お前、乗り過ごしそうだし、夜中に散策するのは俺達の習慣じゃないか」、とのコメントに改めて友人の優しさを感じる。そう言えば渡米した最初の年、チャイナタウンで道場のクリスマスパーティーがあり、その後、道がよく分かっていなかった私と延々と地下鉄の駅まで一緒に歩いてくれた事があった。氣が付けばお互いに一児の父。あの頃はこんな風にまた夜道を歩くとは思ってもいなかった。縁に感謝しつつ無事に居候先に戻った。

暗転。

次に氣が付いた時は居候先のリビングのカウチで服を着たまま寝ていた。


子供を抱いた状態で


嫁さんやホストの証言によると、寝付きそうだった子供を頼まれて預かりカウチに座ったとか・・・全く記憶に無いのですが、写真が残っているのできっとそう言う事なのでしょう

(日本でもこんな風に飲まないのに、NYでそれをやる辺り我ながらなかなか呆れるものがあります)

2011年6月11日土曜日

油そば

 今週末は梅田出張。NYから戻って最初の週末が出張と言うじゃぱにーずさらりーまんに戻される為の強制リハビリのようなスケジュールだ。実際の所は出張が大変と言うより、子供の時差ぼけが日本時間に戻るまでの数日間、連日、朝の2時や3時に起こされる事の方が辛かったと言って良い。ようやく朝の5時と言う比較的耐えられなくも無い時間帯になった所で私は新幹線に乗って関西方面へ。

いつも付き合いのあるこの方のツイートを読んだのはそんな昨日の夜中の事。梅田で油そばを食べたと言うコメントに思わず、自分もこの週末は梅田ですよとコメントしてしまう。見事なのはそのレスで、特に尋ねた訳でも無いのに油そばの店の場所を教えてくれた。感謝である。ここから先は時の運。出張先で会社の人達が氣を利かせて飲みに行こうと言う話になれば流れるだろうし、一人なら場所を教えて行けば良い。







仕事の後、関西地区の責任者に挨拶をすると、「今夜は先約が入っていて本当に申し訳無い」、と挨拶された。それは構わないけど、土地勘が無いので肝心の油そばの店の場所がイマイチよく分からない。iPhone片手に、「この辺りに油そばのお店があると聞いたのですけど」、と尋ねると、「あぁ、それは亀王やな」、と快く途中まで道案内までしてくれた。


そんな有名なお店だったのか


取り敢えず1.5玉で美味しく頂きました、さりげなく東西制覇?



(昔ならためらわずに2玉頼んでいたかと思うと我ながら歳を感じます、足りなくて餃子とライスを追加したのですけど)

2011年6月9日木曜日

意味深

 以前、旧サイトで言及した事があるが、私が履いている革靴はアメリカの某ブランドものだ。履くようになったのは会社の帰り道にウィンドウで見た靴が氣にいったからと言う他愛の無いものだが、それ以来、そこの革靴を愛用している。日本では専門店で修理してもらって履いているぐらいである。

その修理した靴が2足、渡米前にお亡くなりに。何度も修理していたのが原因かもしれないが方や穴が空き、方やNY旅行の前日に帰宅して靴を脱いだら底が抜けてしまった。

タイミング的にはこれほど象徴的な事も無い。だからと言う訳では無いが、今回の旅行のミッションの一つには靴の買い物もあった。タイトなスケジュールの中、嫁さんと別行動で行き付けのお店に寄った。

店内をざっと見て回り、欲しい靴を決め、足のサイズを測ってもらい靴を買う。アシストしてくれたのは私より氣持ち年上のアジア系の男性で軽く雑談をしつつ、最後は握手をして店を出た。翌日、スーツケースに荷物を詰めていると見慣れぬレシートが。レシートを買い物バッグに入れるのはよくある事だが、私のものでは無い。何だろうと思って裏を見ると男性の名前と電話番号のメモが。


・・・そう言う意味だろうか?


そう言えば妻子がいるとは言わなかったしなぁー

(ゲイに人氣がありそうと嫁さん他に指摘された事はあるのですが実際にモーションをかけられたのは初めてかもしれません)

2011年6月5日日曜日

想定外

 2008年の夏に帰任となって以来、NYへ戻る機会は4回あった。3度は他流儀の師のセミナー、1度は出張である。今回の旅はどれにも該当しない家族旅行。昨年、子供が生まれた際、NYの合氣道の師を始め、先輩や友人達など様々な方々からお祝いを頂いたので挨拶を兼ねて訪れる事にした次第。仕事的には新サービス開始の直後であり、限り無く刺されんばかりの勢いだったが、決行した者勝ちである。

とは言え、かなり本業が忙しかったので今回の旅行は子供のパスポート申請を始め、バシネットを含めたフライトの席の手配、お土産その他、全て嫁さんに任せきりだった。嫁さんの手配が無ければ、これほどスムースにはいかなかっただろう。深く感謝である。

最大の懸念事項は13時間と言う東京-NY間のフライトだった。子供は1歳で高速ハイハイ真っ盛り。飛行機の中で大人しくしている訳が無い。飛行機に乗る直前までターミナルのキッズルームで子供を遊ばせて少しでも体力を消耗させる事にした。

結果的には子供が寝ていたのは4、5時間と言ったところだろうか。東京-NY間のフライトで映画も観ず、音楽も聞かず、機内誌を読まなければパソコンにも触れなかったのは初めてかもしれない。ハイハイする子供を追いながら延々と機内を移動し、こんなに様々なCAと話したのも初めての事だった。

この先はこの日の出来事に直結するのだが、友人宅に到着し、40分ほど仮眠を取らせてもらって合氣道の稽古に赴き、稽古後は師や仲間と飲んで夜中近い帰宅となった。サイトを更新し、満ち足りた氣分で布団に入ったのが午前1時頃だったろうか。


1時間後に子供に起こされ朝まで


フライトの事ばかり心配して子供の時差ぼけを全く考慮していませんでした

(お陰様で無事に帰国しましたが、今宵、子供が何時に起きるのかは考えないようにしています)

2011年6月2日木曜日

濃密な時間

 一週間の滞在で訪れているNYも残り時間いよいよわずか。毎日がかなり密度の濃い時間でデジカメの写真を見返すと、昨日の事も遠い昔の事のように感じられる。子供を連れての海外旅行と言う未知の体験をクリア、これでまた経験値が上がった。

想定外だったのは時間。こればかりはどうにもならない。睡眠時間を可能な限り削っているがやはり限界があり、時々、プッツリとスイッチが切れる。


たった今のように


文章の途中で意識を失って40分ほど経っていたような・・・


(遊ぶ事に関しては妥協はしません)