2011年8月22日月曜日

大自然 第二弾

初日:
薄暗くなろうとする夕方にそれはまるで氣が付かれる事無く、足元に忍び寄る。酔った頭には足首に小さなポツポツがある事など分からない。

2日目午前:
起床と共に足元に痒みを感じる。見ると赤いポツポツが左右の足首に点々と。数えると右足に8つ、左足に5つある。意外にむずむずする。ブヨでは無いかと言う声に強めのムヒを塗った。そう言えば前日は半ズボンにサンダル姿で家族で花火をした。嫁さんの足も私ほどでは無いが噛まれている様子。子供が無事なのは何より。

2日目午後:
クーラーの効いた帰りの電車から乗り換えで暑いホームに降りた瞬間に両足の悶絶するような痒みに襲われる。思わず乳母車の取っ手に爪を立てる。これは強烈だ。しかし、乗り換え時間はわずか。荷物を抱え何とか電車を乗り換える。

2日目夜:
最後の電車の乗り換えまで間があるので夕食を食べてから帰る事に。しかし、それ以上に夫婦揃って足の痒みが耐え難い。駅周辺の薬局に行き、ステロイドの入った薬を購入。デパートで患部に塗って一息をつく。ネットで調べた限りではブヨの患部は腫れあがり、掻く事が最大のタブーらしい。塗り薬が効きめが弱い時は氷で冷やすか。痛みの方がまだマシだ。

3日目:
痒みと鈍痛が交互に襲って来る夜を経て起きる。右足は腫れあがっている。涼しい場所で裸足でいれば耐えられない事は無いが、今日から出社。靴下を履き、革靴を履いて家を出る。擦れるその瞬間が拷問だ。思わず歯を食いしばり、意識を膝下から切り離すよう努力する。クーラーの効いた場所で大人しくすれば大丈夫なはず。社内でも極力、デスクから動かないよう務める。席を立つのは猛烈な痒みを伴うからだ。トイレの個室で両足に薬を塗る。もしかして麻薬の禁断症状とはこんな状態を指すのではと言う思いが頭をよぎる。ゆとりが無い。嫁さんは皮膚科に行って薬をもらった。量がわずかなので私は市販の塗り薬で耐える事にする。

4日目:
起きると右足に鈍痛。普通に体重をかける事が出来ず足を引きずるようにして洗面所へ。今日もまた靴下に皮靴かと思うと暗澹たる思いに駆られる。

5日目:
右足は相変わらず腫れあがっているし、両足の噛まれた痕はプチホラー状態。これが虫に噛まれた痕ではなく伝染病だったら末期症状だろう。虫刺されには耐性のある私だが、こんなに引きずるのは初めてだ。しかし、心なしか痒みと鈍痛は弱くなっている氣が。これなら週末の合氣道の稽古も行けるかもしれない。

6日目:
足は腫れているし、噛まれた痕も痛々しいが鈍痛と痒みは引いた。週末だし、今日はサンダルだ。久しぶりに友人と合氣道の自主稽古。激しい運動とその血の流れでまた痒くなるかもしれないが、こればかりは試してみないと分からない。結果は吉。延々と投げ合う過程で後半は立ち上がるのもしんどかったが、足元に氣を取られる事は無かった。稽古後、久しぶりに一杯飲みに。稽古後の生ビールの美味さは格別だ。


足元が疼きましたが


あ、アルコールのせいか・・・・

取り敢えず完治するまでは要断酒かブヨ恐るべし、本当、子供が噛まれなくて良かった


2011年8月19日金曜日

大自然

 会社が節電の名の元に月曜を社員の有給休暇を使った強制的休みにしてしまったので、翌日の火曜日も休んで家族でのんびりする事にした。行き先は両親がいるプチ田舎。帰国以来、定期的に遊びに行っているが今回は子供が歩けるようになっているので更に遊びの幅が広がるだろうと言うのが今回の目論見だ。

親の方で色々と計画しており、孫の為のプール、花火、そして庭の木に吊るす縄梯子を使ったブランコなどイベントは盛りだくさんだった。プールを膨らますのは一作業だったが、子供の喜びっぷりを見たら用意周到な親に感謝せざるを得ない。庭の木に縄梯子を吊るすのも脚立があれば訳無い。吊るされた縄梯子で早速、木に登ってしまう自分は三つ子の魂、百までと言った辺りだろうか。梯子のトップから木の枝に登って景色を楽しんだ。

トラブルが生じたのはそうやって数回上った後。カメラで上からのショットを捉えようと登り、バランスを整える為に上の枝に左手をかけた所、人差し指に焼けるような痛みを感じた。思わず手を振ると右膝の上に緑色の親指サイズの物体が落ちて来た。毛虫と認識するのと足に激痛が走るのと同時、払い落した時は既に遅く、左手と右膝が見る見る腫れてきた。悔しいので木の上から嫁さんと子供の写真を撮ってから下に降りる。ヒリヒリとした熱と痛さに強めのムヒを塗った。これまで数え切れないほど木登りをしてきたが毛虫をヒットしたのは今回が初めて。痛みと腫れが引くのに数時間かかった。


子供を喜ばすのも楽じゃないです


そんな子供は虫に刺される事無く、無事にブランコをして動画にも収まりました

(調子に乗って木登りをしていなければこんな目には合わなかったと言うもっともな指摘は聞こえない方向で)

2011年8月9日火曜日

交流と将来と

 帰国してから社内の若い社員の研修などに関わる機会が増えた。新入社員に自分が所属している部署の業務の説明をする事から始まり、1年次研修や2年次研修などである。自分自身の立場が中間管理職だからなのかもしれない。自分が新入社員の頃は今の自分の年齢、役職の人間はかなり年配に見えたものだが、若い社員から見ると今の自分はどう映るのだろうと氣にならなくも無い。

そんな今日の午前中は大学生インターンを相手にした業務説明だった。このイベントも3度目か。前日に過去のプレゼン資料を幾つか編集し、iPadに入れて会議室を訪れる。女子大生3人を相手に私の関わっている業務について説明。適宜、質疑応答を交え、あっさりと所要時間をクリアした。仕事絡みの質問が中心だったが、最後にどんな時に仕事のやりがいを感じるかと訊かれた時は少し驚いた。そう言えば私も遠い昔、就職活動の最中にそんな質問をした事を覚えている。自分の最近の体験の中から事例を語ると納得してくれた様子。特にこの業種への就職を勧めるつもりも無いが、社会人がパッションを持って仕事に取り組んでいる事は伝わったかと思う。嫁さんには笑い飛ばされそうだけど。

そう言えばこんな事もあった。こちらに書いたかどうか記憶が曖昧なのだが、5月に他の部署と共同でイベントに関わっていた際、他部署の入社2年ぐらいの若い男性社員と一緒に仕事をする機会があった。何かの折に私が海外生活が長いと言う話になり、海外について色々と質問されたので自分の分かる範囲で答えた。聞くと彼は海外赴任をしたいとの事。彼の関連部署なら常に海外部員を求めているはず、人事や該当役員に話しを通しておけばすぐに叶うよと伝えておいた。20代独身で今は彼女もいないと言う。海外赴任して彼女を作るのは、日本にいる時と比べて相応の甲斐性と努力が必要になるだろうが、行きたいなら行くべきだろう。彼と仕事をしたのは時間にして数時間だ、先日、発令が出ており9月からアジアに赴任とあった。希望が叶った様子、頑張って欲しいものだ。


NYエリアにも発令が


アジア地域からNYの他部署へ異動になる人間がいるような

(で、私がまた海外に出る為には誰に話を通せば良いのだろう・・・・ふぅー)

2011年8月8日月曜日

打ち合い

 週末の土曜日に久しぶりに今年に入ってから縁の出来た他流儀の古流の自主稽古会に参加させてもらった。自主稽古会は毎週末開催されているのだが、さすがに毎週の参加は難しい。午前中は私が子供の面倒を見て嫁さんが外出、午後は代わりに私の時間と言う事で道着をカバンに詰めて家を出た。

体育館に着くと先に来ていたのは先輩が2人のみ。3人で稽古を始めている内に他の人達も集まってきた。稽古は押し合いや相撲のような内容もあれば、互いに組んで特定の個所を鍛える鍛練法もあるし、打撃に投げ、武器もある。初心者としては軽く消化不良を覚える量だが、そこはコツコツと。

個人的にはこの稽古体系は非常に理に叶っていて面白いと思う。キツイ稽古方法は打ち合いだ。一定の型でどの程度の打撃力が出来ているのか互いに打ち合って確認すると言うもの。打つ場所は腹。私が過去に経験した中国武術などでは、試し合いの打ち合いの際は危険なので打つ場所を変えると言う事がされていた。ロシアのシステマでも互いに浸透する打撃で試し合う事はされている。結局の所、技として効く打撃を練る為にはどこかで打たれる、打つ経験は必須。そして人間、誰もすき好んで打たれる人はいない。ここがジレンマ。組手で殴られるのと、自分の意志で立っている状態で打ち込まれるのとではずいぶんと印象が違うものだ。一概には言えないかも知れないが個人的には前者の方が楽。

そんな打ち合いの稽古も今回が2回目。今回は人数も集まっているので様々な人と組んで、稽古する。上手い人の動きは無駄が無く、打撃もズシンと浸透する。軽く悶絶しながらタイムアウトをお願いするぐらい。

そんな稽古を土曜の午後に行ったお陰で久しぶりに体力は限界まで消耗。電車の中で坐ったら自分の駅で降りるのがキツイぐらいだった。シャワーを浴びると腹や腕に延々と痣がある。翌朝は筋肉痛で布団から出るのがしんどい。起きている子供を嫁さんが相手してくれている事に感謝である。そんな日曜日に嫁さんに前日の稽古の事を報告、腕の痣を見せる。


良かったねーと言う満面の笑み

前はいつもそうだったものね、との指摘にそうだっけと首を捻ったり

(まぁ合氣道だけではなかなかこうならないのは確か)




2011年8月3日水曜日

氣まぐれ

思い返せばずいぶんと前の事のように感じられるのだが、5月の中旬に会社のパソコンからメールが消滅した。使っていたのはOutlook Express。仕事中に何だか動作が重いなと思っていたら、受信トレイから過去半年分の業務メールが消えてしまった。

呆然。

検索して調べた所、この種の現象はOutlook Expressではあるらしいと言う事が分かった。色々と過去のデータのリカバリーを図ったのだが上手く行かず、結局、半年分の業務データとお別れをする破目になった。

意外だったのは、その頃、かなり忙しかったにも関わらず消滅した過去メールにあまり足を引っ張られなかった事。そもそも多忙だったので感情的に大騒ぎする氣にもならなかったのかもしれないが、蓋を開けてみれば何とかなった。重要なメールには誰かしらCCが入っていたのも大きかったかもしれない。

ちなみにほとんどの人にはこの現象を信じてもらえなかった。

あれから2ヶ月。7月は北海道に関西、北九州と出張の多い月だった。それがようやく一段落。今週は今の所、事務所内だ。コツコツと溜まった仕事を片付けるかと思っていた矢先。


1ヵ月半分のメールが消滅



・・・一体、何の嫌がらせか。取り敢えずThunderbirdを使い始めました

(自宅でも社内でも無意識に何か放出しているのではとの疑念が上がっています)